伸びしろの大きいヘルスケア産業で日本企業はチャンスをつかめるか?:異色の日本人社長が見た米国モノづくり最前線(4)(1/2 ページ) – MONOist
伸びしろの大きいヘルスケア産業で日本企業はチャンスをつかめるか?:異色の日本人社長が見た米国モノづくり最前線(4)(1/2 ページ)
オランダに育ち、日本ではソニーやフィリップスを経て、現在はデジタル加工サービスを提供する米プロトラブズの日本法人社長を務める今井歩氏。同氏が見る世界の製造業の現在とは? 今回は「医療機器産業」に光を当てる。
[今井歩/プロトラブズ 日本法人社長,MONOist]
はじめに
筆者がビジネスを学ぶため、ソニーを退社して米国Harvard Business School(HBS)に入ったことは以前にも書きましたが、MBA(経営学修士)を取得した後、職探しをしているときに雇ってくれたのがオランダの電気・医療機器メーカーであるPhilips(フィリップス)でした。
任されたのは、日本市場への医療画像管理システムの販売。ちょうどB2Bの仕事に興味があったのでやりがいを感じましたが、やり始めてすぐにその難しさを思い知らされました。
コンシューマー製品とは異なり、医療系システムのお客さまは病院や医師。商品を買う相手の顔が見えるところはよかったのですが、販売プロセスがそれまでとは全く違っていました。購入決定者が複数存在し、予算や院内の事情が複雑に絡まり合っているのです。しかも、そこに厚生労働省の審査や承認のプロセスが付け加わります。承認には多くの時間と手間が掛かることから、フィリップスにはそのための専門部署がありましたが、とにかく一筋縄ではいきません。
当時、筆者が売っていたのはCT/MRIなどの画像データを一元的に管理し、院内ネットワークを通じてどのPCからでも閲覧できるようにするシステムで、撮られた画像を3D解析して病患を示すような機能も備えていました。今ではこうしたシステムは珍しくありませんが2005年当時ではかなり新しく、世のデジタル化の波に乗って導入を考える病院が増えていました。ただ、売るのはそう簡単ではありません。特に、当時コンシューマービジネスしか知らなかった筆者は、国の審査と承認の煩瑣(はんさ)な仕事に面食らったのを覚えています。
「厚生労働省」と「FDA」
米国で日本の厚生労働省に当たる役割を果たしているのがFDA(米国食品医薬品局)です。FDAの審査と承認に関しては、日本の厚生労働省よりも寛容だといえます。安全基準を満たし、エビデンスがそろっていれば次のステップに進めます。承認のプロセスは日本よりもスピーディーです。
なぜ、そんなことができるのかといえば、米国では“機器や薬品の事故の賠償責任はメーカーが負う”という文化があるからです。医療機器や薬品の不具合で人の身体に害が生じた場合、米国ではそれを作った会社が非難されます。日本では“厚生労働省が責任を負う”ので自然と審査が厳しくなるわけです。
確かに、日本は国民の安全を第一に考えているともいえます。しかし、こうした姿勢が医療系イノベーションを遅らせていることも否めません。スタートアップ企業がいくら優れたアイデアを持っていても、審査と承認の壁に阻まれて実現までに思わぬ時間と資金を要し、日の目を見ずに終わってしまうことも珍しくありません。イノベーションにはリスクが付き物で、リスクが全くないイノベーションなど存在しません。斬新な発想と国民の安全とのバランスをどううまく取っていくのかが問われています。
1つ厚生労働省のために補足しておくと、令和2年(2020年)の同省の白書には「先駆け審査指定制度」「条件付き早期承認制度」の法制化や「医療のイノベーションを担うベンチャー企業の振興に関する懇談会」の開催などが報告されており、「医療産業の発展や国の経済成長には審査と承認の在り方を変えていくことが重要である」という認識をもっていることが明確にうかがえます。
伸びしろの大きいヘルスケア産業で日本企業はチャンスをつかめるか?:異色の日本人社長が見た米国モノづくり最前線(4)(2/2 ページ) – MONOist
伸びしろの大きいヘルスケア産業で日本企業はチャンスをつかめるか?:異色の日本人社長が見た米国モノづくり最前線(4)(2/2 ページ)
[今井歩/プロトラブズ 日本法人社長,MONOist]
将来性ある医療系イノベーション
言うまでもありませんが、医療系イノベーションで群を抜いているのは米国です。外科手術用システムの「Da Vinci(ダヴィンチ)」はその1つの好例として挙げることができるでしょう。離れた場所にいる患者と医師をつなぎ、遠隔手術を実現する画期的な装置です。この装置は外科手術を実行するロボティクスおよびセンサー部分、その様子を鮮明に映し出す光学部分、そして鉗子やメスを操作するコンソール部分から成っており、医療のロボティクスAR(拡張現実)ソリューションといえなくもありません。国内でも導入が進み、がん治療の現場などで実績を挙げています。初期投資コストの問題が解消されれば、今後こうしたシステムが道具として外科手術の主流になっていくことは間違いないでしょう。
そして、日本のモノづくり企業にとってもヘルスケア関連のビジネスチャンスは大きいと感じます。例えば、高齢化社会を迎え、今盛んに研究されている人体サポート機器やアバターロボット。日本のお家芸であるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を用いた再生医療のための実験装置など、伸びしろの大きな領域が少なくありません。
また、モノづくりとは離れますが、個人向けに構築された医療系SaaS(Software as a Service)のようなものもプラットフォームビジネスとして今後伸びそうな気がします。欧米では既にAI(人工知能)による診断サービスなどが実用化されているようですが、遠隔医療や訪問医療、そして家庭用医療機器の普及とそうしたクラウドサービスが結び付くことで、現在の医療現場の風景はかなり変わってきます。
問題は「誰がそうしたプラットフォームを立ち上げるか」です。国なのか、医師会なのか、IT大手なのか、若いベンチャーなのか……。いずれのプレイヤーがリードしてもいいと思いますが、社会貢献への明確なビジョンと意欲を持って力強く進めてほしいと願います。
図2 2011~2024年 世界の医療テクノロジーの市場規模推移(売上高ベース)[クリックで拡大] 出所:野村證券/Statistaデータを基に野村アセットマネジメントが作成(https://www.nomura.co.jp/wp/lp/retail/theme/medical/?sc_pid=elb_side_medical)
「ベンチャー投資」に対する日本人の国民性
先ほど、国の厳しい審査と承認がイノベーションの壁になっていると述べましたが、ベンチャーの前に立ちふさがるもう1つのハードルがお金の問題です。医療機器開発では有効性と安全性を証明するため、複数の試作を同時に進める必要がありますが、若いスタートアップ企業には資金的にその体力がありません。
ご存じのように、米国には有望な事業アイデアに活発に投資を行うPE(プライベートエクイティ)とVC(ベンチャーキャピタル)ファンドが数多くあり、意欲あるベンチャーに潤沢に資金が回る仕組みが出来上がっています。Da Vinciもそうした投資の成功事例といえるかもしれません。イノベーションが成長軌道に乗れば、投資家も大きく投資回収できるわけです。
一方、日本国内を見渡すと、将来性のあるアイデアにお金が回るこのような仕組みがほとんど見当たりません。これは私見になりますが、どうも日本人は余裕が出てくると銀行にお金を貯め込む傾向があり、リスクをとって事業に投資しようとする人が少ないように感じます。これは資産家にとっても、国にとっても、産業にとっても、非常にもったいないことです。
過去を振り返れば、日本にも起業家精神と金融と行政がうまくかみ合い、好循環を生み出していた時代がありました。若者たちの意欲とデジタル技術、そして資産家たちの果敢な投資によって、それをまた再現できないものかと筆者は考えます。小さな芽が大きく育つように水をやり、陽に当ててやることは、国や産業界、そして私たち国民一人一人が果たすべき社会的義務なのではないでしょうか。 (次回へ続く)
Profile
今井歩(いまい あゆむ)
オランダの工科大学で機械工学を学び、米国Harvard Business Schoolで経営学を修める。日本ではソニーやフィリップスに勤務し、材料メーカーや精密測定機メーカーの立ち上げにも関わり、現在はデジタル加工サービスを提供する米企業Proto Labs(プロトラブズ)日本法人の社長を務める。