【一筆多論】岡本行夫の日米同盟論 渡辺浩生

外交評論家の岡本行夫氏

 「日本と米国の間には、まだまだ実はやれそうでやっていないことがある」

 安倍晋三首相とトランプ米大統領の信頼関係で強化されたと評される日米同盟にこう注文を付けたのは、4月末に新型コロナウイルスで急逝した外交評論家で橋本・小泉政権の首相補佐官を務めた岡本行夫氏だった。

 昨年12月末、日本国際問題研究所主催のシンポジウム。中曽根康弘首相とレーガン大統領の「ロン・ヤス関係」を引き合いに、「単にファーストネームで呼び合う関係ではなく、本当の意味での同盟関係」のあるべき姿を語ったのだ。

 「同盟の極致」として挙げたのは1980年代、米国とソ連で射程500~5500キロの地上配備ミサイル全廃を目指した中距離核戦力(INF)交渉だ。

 「米国はソ連との交渉の中身をその都度日本に伝え、『これで日本はいいのか』と聞いてきた。そんなことは以来、一回もない」

 交渉の経緯は当時外務省安全保障課長だった岡本氏の証言録『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(朝日新聞出版)に詳しい。

 交渉の過程で日本が懸念したのは、欧州の核廃棄問題が優先されてアジアにおける米ソ間の核戦力の均衡が崩れることだった。日本の安全保障に死活的な米国の核抑止力の信頼性が損なわれかねないからだ。

 86年にレーガン氏から中曽根首相宛ての親書で米国の提案が伝えられた。「ソ連はウラル山脈西側(欧州側)の中距離核ミサイルSS20をすべて撤去し、アジア配備分は50%削減、米側は西ドイツに配備した核ミサイルGLCMとパーシングIIを撤去する」。受け入れられない内容だった。

 「どうやって日本の主張をアメリカに納得してもらうか」。外務省は協議の末、アジアのSS20をソ連中央部にある軍事基地に集める代案を作成した。ミサイルが欧州向けかアジア向けかをあいまいにする妙案である。説明のため岡本氏が米国に急派された。

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第 2 頁

2020.9.8 09:18国際国際問題

 レーガン政権は日本側の提案を歓迎した。米ソの核軍縮交渉に日本が具体的に関与をすること自体、新鮮な驚きだった。これが結果的に大統領の背中を押す形となる。ゴルバチョフ書記長にさらなる譲歩を迫り、翌87年、ソ連はSS20をすべて撤去する、という画期的な合意に達した。

 「核兵器を持たない国が米ソ軍備管理交渉に影響を与えた唯一無比の例」。岡本氏とともに交渉に関わった元国連大使の佐藤行雄氏も著作『差し掛けられた傘』(時事通信社)で指摘する。モノを言ったのはレーガン氏の中曽根氏に対する絶大な信頼だった。

 岡本氏は何を言いたかったのか。それは、日米の首脳関係も国民の生命と財産を守るという究極の目的にどう生かされたかで評価される、ということだ。

 シンポジウムでの発言には前段がある。「日本の最大の脅威は中国」。日本政府が口ごもる対中認識を口にした。米中、日中の武力衝突に発展しかねない台湾侵攻に中国が踏み切らぬよう「押さえ込み説得することが最大の外交目標」であり、「そのために同盟を深め、米国をこの地域(アジア太平洋)につなぎとめねばならない」とも。

 米大統領選を控え首脳の人間関係もリセットされるときだ。岡本氏が今を生きていたら、同じ苦言を呈したに違いない。(外信部長兼論説委員)

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