進んだ米軍基地返還…立役者は官房長官だった菅首相
安倍晋三政権の7年9カ月で在沖縄米軍基地の返還は大きく進んだ。日米沖縄特別行動委員会(SACO)合意で基地の整理・縮小が決定した平成8年12月以降の政権と比較すると、安倍政権が返還を実現した基地は面積、件数で他の追随を許さない。その立役者が官房長官として沖縄基地負担軽減担当相を兼務した菅義偉(すが・よしひで)首相だった。
■不発弾除去作業で防衛省を一喝
28年12月、菅首相は米軍北部訓練場(沖縄県東村など)の返還式典に出席するため訪れた名護市で防衛省の説明に目をつり上げた。
「そんなのおかしいでしょ」
北部訓練場が返還されても不発弾や汚染物質の除去が必要で、防衛省は2~3年かかると説明した。当時、政府と地元は訓練場跡地の世界自然遺産登録を目指していた。菅首相の怒りに震えあがった防衛省は除去作業を1年で終わらせた。
■工事妨害は排除…今も地元と接触
北部訓練場はSACO合意で半分以上の約4千ヘクタールの返還が決まったが、ヘリパッドを東村高江区に移設することに反対する活動家が大量に駆けつけ、ゲート前に車両を放置するなどして工事を妨害した。
警察は反対派との衝突を恐れて介入を嫌ったが、菅首相は警察庁幹部を動かし、反対派を強制排除した。同時に高江区の区長と直接やり取りし、ヘリパッド移設容認を取り付けた。
訓練場の返還後も区長と連絡を取り合い、昨年末も名護市内のホテルで秘密裏に面会している。防衛省幹部は「北部訓練場は終わった話。それでも菅さんはケアするので地元対策に緊張感が出る」と打ち明ける。
■渋滞解消も…利便性アップに貢献
北部訓練場を除けば、安倍政権が返還を実現した米軍基地の面積は小さい。だが、渋滞が慢性化していた国道58号沿いの敷地を返還させることで4車線化するなど地元の利便性向上への貢献度は大きい。
「沖縄の人が理解してくれないのは基地負担軽減と口で言うばかりだったからだ」
菅首相は口癖のように繰り返した。がむしゃらに基地返還を推進した首相にとって、最大の不安は自身の配下に「菅義偉」がいないことかもしれない。
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